『妖刀伝』の攻略日記/Fuga/2016-09-15

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フリーゲーム『妖刀伝』のプレイ日記、127日目 六周目の日記としては、15日目です。


昨日は、真鹿城一階の北側の「客間」にて、「竹刀」を入手し、【読み取り】を行いました。

実績無垢なる忠義」を入手!

「とある思い出を見ると……?」の実績、その二 Edit

今日は、「とある思い出を見ると……?」の実績の最後の一つを取得しました。

遊郭・奥の間 Edit

これまで、住民の所持品でない思い出の品は、みな真鹿城の中にありましたが、私が最後に取得する思い出の品は「遊郭・奥の間」にて発見。


奥の間の↖隅に置かれた引き戸の箪笥を調べると――

鉢植えのようなものが入っている。

Cited from 妖刀伝

――となり、その場に遊女「由美」が存在している場合は――

……まあ構いんせん。そのような枯れかけの鉢植え、欲しいのなら差し上げやんす。

Cited from 妖刀伝

――と言われます。

思い出「そいつが枯れるまでに Edit

「鉢植え」の【読み取り】によって見えてくる光景は、かつて、謎の男「六助」が「遊郭」の由美さんのもとへ通っていたころのもの。

現在の六助は、由美さんの身請け費用を稼ぐための金策と貯金に励んでいるため、ずいぶんと「遊郭」から遠ざかっています。 遊女「紫」さんなどは、しばらく六助由美さんに会いに来ないことに不満があるようですが……。


「鉢植え」は、六助が身請け費用を用意するまでの時計代わりにと、六助由美さんに贈ったものでした。

六助は、鉢植えが枯れるまでには迎えに来ると約束していましたが、六助の金策はそう計画通りには進みません。 時は流れて、現在の鉢植えはすでに枯れかけ、ともなれば由美さんも、六助の迎えを諦めて死を望もうというものです。

ただし、「鉢植え」の【読み取り】にて取得できる実績そいつが枯れるまでに」の説明には――

まだ、枯れていない。

Cited from 妖刀伝

――と書かれています。


「鉢植え」を贈られた当時の由美さんは、「遊郭」での恋に熱を上げる「六助」に対し――

"傾城の 恋は誠の 恋ならず金もってこいが 本のこいなり"

Cited from 妖刀伝

――と、歌を送ります。

傾城というのは傾城の美女、ここでは遊女のことです。

遊女の中に"こい"があるとするなら、それは「金もって"こい"」だけであり、客に対する恋心は仕事として演じているだけ、と告げて、六助を遠ざけようとしました。

それに対して六助は――

"傾城に 誠なしとは 誰が言うた誠あるほど 通いもせずに"

Cited from 妖刀伝

……また来るぜ。

Cited from 妖刀伝

――と返します。

  • 傾城の、恋は誠の恋ならず 金もってこいが本のこいなり
  • 女郎の誠と卵の四角 あれば晦日に月が出る
  • 女郎の書く文、誠ない 筆に狸の毛がまじる
  • 傾城に誠なしとは誰が言うた 誠あるほど通いもせずに 振られて帰る野暮なお客の憎体口(にくてぐち)
Cited from 浄土真宗節談説教

浄土真宗の節談説教(ふしだんせっきょう)に語られる、遊女の誠にまつわるお話です。 上の三つは、遊女に振られた男の憎体口(憎まれ口)。そして、最下段のものが遊女の言い分であり、オチとなります。

遊女屋では、遊女が客を愛していると語る一方で、客の側も、また通うと約束をしつつ、それっきりということが当たり前にあったそうです。

遊女は客に惚れたと言い 客は来もせでまた来ると言う

嘘と嘘との色里に 恥もかまわず身分まで よう打ちあけてくんなました

Cited from 紺屋高尾

「遊郭」の遊女「朝雲」が憧れる、米屋の奉公人と遊女の物語《幾代餅》。それとほぼ同内容の物語に《紺屋高尾》というものがあります。 紺屋の染物職人の男性と高尾太夫との純愛物語です。

遊女に誠がないとされるのは、客の側に誠がないことを遊女が見透かしているからであり、誠実な男性相手には、遊女が誠を抱くこととてないとは限りません。


謎の男「六助」は、由美が節談説教を引用して自分を遠ざけようとしたことを受けて、同じく節談説教で返しました。 由美さんに誠のあることを知っているぞ、という主張になります。

花魁はかなり高い教養を持つ人たちですから、由美さんが浄土真宗の説教話に通じているのも不思議ではありません。

また、六助の側も、僧侶の特技「瞑想」を用いることから、もともと仏門に帰依していただろうことは想像に難くないです。 ちなみに、「真鹿神社」のモデルたる鹿島神宮。その神宮寺たる【鹿島山金蓮院】には、浄土真宗の宗祖【親鸞上人】がしばしば訪れたといいます。

ただし、上記の節談説教を浄土真宗の誰が考案したのかは、私には分かりません。 滋賀県真福寺の椿原了義住職(1832〜1879) が語っていたのは確かなようですが。

かげろう -- 2016-09-16 (金) 00:34:36

Fugaさんならきっと元ネタを拾ってくださるだろうと楽しみにしていましたが相変わらず作者の知識の斜め上のところまで調べてくださる

Fuga -- 2016-09-16 (金) 23:16:54

インターネットを用いての、歴史にまつわる元ネタ調べは、楽しくてしようがない遊びです!

――というところで、今日の実績集めを終わります。


今日は、由美さんの「鉢植え」に【読み取り】を行い、実績そいつが枯れるまでに」を取得しました!

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